犬山城は木曽川南岸の標高約40m丘陵の上に築かれ、別名”白帝城”とい います。犬山城天守が現在の位置につくられたのは、慶長6年(1601)のこ とです。それまでこの地には針綱神社が鎮座していました。関ヶ原合戦の後、 犬山は徳川家康の治める所となり、徳川忠吉を清洲城主としました。忠吉が 領内北部を固めるため犬山城主とした老臣小笠原吉次は、針綱神社を白山平 に遷座して、その跡に改めて城を築いたのです。この時築かれた建物で現存 しているのは、現在の天守の一・二階部分です。 その後、元和3年(1617)に城主となった成瀬隼人正正成によって、現在 の三・四階が増築されました。さらにその子正虎により改造され、ようやく 現在見る犬山城天守の姿が完成となったのです。なお、現在一階内部に見ら れる座敷のつくりは、文化頃(19世紀のはじめ)の改造によるものと考えら れています。